ナインハーツの意味

メンタルサポートルーム「ナインハーツ」とは、文字通り「9つの心」という意味です。
人間が幸せを感じて生きるためには「豊かな心」が必要ですが、豊かな心は9つの心から出来ている、という私が信じるところ教えに由来しています。その9つの心は次の通りです。自分自身、このような心持ちが出来ているか?どの心持が足りないか?それを客観的見つめてゆくことで、今の自分の問題に向き合う事が出来ます。

感謝の心

誰しも自分に利益をもたらす相手や、物事については感謝の気持ちは持てるでしょう。しかし、病んでいる時も苦しい時も、常に感謝の心を持つ、と言ったらどうでしょう?なかなか難しい事です。しかし、嬉しい時も、苦しい時も、常にそこには「今日の自分」が存在しています。その自分の存在そのものに感謝ができたならば、利害に囚われることなく、自分を支えているこの世の全てのものに感謝ができるはずです。その時に、自分が生きているのではなく、生かされている、という事に気づきます。

そのような感謝の心が育てば、人にやさしく出来、そしてやさしくもされます。因果応報という宇宙の摂理に気づくことができれば、何にもとらわれない、自由で力強い生き方ができるようになります。

謙虚な心

「自分が自分が」と我を張らず、人の立場を尊重し、相手を引き立てる心と言えます。個人主義や個性という欧米的な価値観が日本に入ってきましたが、その裏側にある「相手を認める」謙虚さは忘れて、勝ち負けにこだわり、自分の主張を正しいと押し通すことを良しとする風潮が目立つようになったかのように思えます。もちろん自分を正しく相手に認めてもらう努力は必要です。大切なのは、自分を認めさせるために、相手を出し抜いたり、人の足を引っ張たりしない事です。

また、近年「意識高い系」が過ぎた例で、我が道を行く個性主義みたいな価値観もあり、「個性」がないとダメだという風潮すらあります。「世界に一つだけの花」の歌詞は多くの人々の共感を得ましたが、「一人一人違う種を持つ」その種を「自分の個性」として主張することは決して悪い事ではありませんが、本来学び成長しなければならない人間としての努力を放棄し、独りよがりの価値観を「個性」として押し通し、さらには相手の「個性」より上だという評価さえするようになっては本末転倒です。個性は個性として認め、その上で相手から学ぶ姿勢は、謙虚な心と言えます。

思いやりの心

一言でいえば、相手が望むものを与えられる心ということになります。望むものとは物質的なものもあれば、精神的な事柄もあります。しかし、相手の望みが分不相応であったり、わがままであれば、注意を与え相手に気づかせることも思いやりの心と言えます。また、思いやりの心は、利害関係者に対しては比較的出しやすいかと思いますが、ここでいう思いやりの心とは、単に同情するといった表面的なことだけでなく、本当に相手が成り立つことや、成長するための言動をとってあげるという事です。喉が渇いている人に水をあげることは善い行いですが、それだけではただの親切で終わってしまいます。水をあげた上で、どうしたらその水が手に入るかを教えてあげることが、相手を成り立たせることに繋がります。

また、独りよがりにならないことも大切です。相手に求められて、何かを与えることは尊い行いであり、相手から感謝もされますから気持ちも良くなります。しかし、それだけでは自己満足に終わり、場合によっては相手からの感謝を求める気持ちすら生まれます。与えることと、学ぶことが表裏一体の関係にあり、謙虚でいることも思いやりの心に通じるものがあります。

喜ぶ心

一見、誰にでも喜びはあり、簡単そうに思いますが、何に対してどう喜べるかが問題です。
自分が欲しいものを人から贈られた時は、誰でも素直に喜べると思いますが、そうでない物であったらどうでしょう。なんとなくがっかりしてしまう人も多いと思います。本来、贈る側の人の気持ちに対して喜ぶべきですが、物に対して心が動かされるからそのように感じてしまいます。

喜ぶ心も、基本的に感謝の心が無ければ歪んだものになってしまいます。自分を生かしてくれるもの全てに感謝し、日常の些細な出来事を喜べる心は、すなわち自己肯定感へと繋がっていると言えます。

人の悲しみを悲しめる心

人の痛みや苦しみを含めて、どこまで相手の気持ちを理解できるかという事と、どこまで共感できるかという事になります。前述の「感謝の心」や「謙虚な心」は意識して持とうと努力できますが、人の悲しみを悲しむ心は、何に対して悲しいと思うのか、またその大きさも人それぞれで、いわば感受性の部分が大きなウエイトを占めます。

また、様々な体験を通じて人は成長しますが、懸命に日常を過ごす中で感受性がどんどん鈍っていく事もあるかと思います。それが行き過ぎれば、人の悲しみを悲しみとして捉えるどころか、「なぜ悲しいのかわからない」という具合に切り捨ててしまう事もあります。

「悲しむ」とは、頭で考えることではないが故に難しいですが、であれば、今の自分にとってどんなことが起きたら悲しいのか?何に対して悲しいと思って生きてきたのか?これを深く見つめることで、感受性を高め、相手の気持ちに寄り添う気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。

人の喜びを喜ぶ心

家族や身内であれば、ごく当たり前に喜べることであっても、他人の喜びや成功を、素直に喜ぶのは難し事です。人間には嫉妬の気持ちは常に隠されていますし、仕事面では人の成功によって自分が不利益を被るケースもあります。しかし、羨む心や妬みの心は、本当に自分を疲れさせ、不幸へと導きます。羨む心や妬みの心は、相手と自分との比較から生まれます。相手が幸せで、自分が不幸・・・。相手が恵まれていて、自分は恵まれていない・・・。そのような価値観は自分が勝手に思い描いているだけで、誰かが決めるものではありません。

価値のある人間とはどのような人でしょう?人生において成功とは何でしょう?人は、それぞれに与えられた人生があり立場があります。その中で、自分にしかできないことが必ずあります。価値のある人生とは、目の前の人々に喜びと幸せを与えようとする生き方であり、様々な失敗、挫折を経験しても、そのような生き方ができれば、それは自分の人生に成功したと言えます。

感動・感激する心

美しい物事にふれて感動・感激する心とは、素直な心とも言えます。美しい物事とは、周辺にいくらでもあります。抜けるような青空や、沈みゆく夕日。また、電車の中でお年寄りに席を譲る、ちょっとした親切を目撃したときなど。しかし、そのような物事に出会っても、何も心が動かないときもあります。

そのような時は、往々にして何かに追われ、心にゆとりのない時です。でも、弱肉強食の野生動物とは違い、心にゆとりをもち、人と関わり、自然と調和しながら幸福感を獲得していくのが本来の人間の姿です。忙しい現代を生きる私たちですが、いつも自分の姿を客観的に見つめることで意識的にゆとりを持ち、美しい物事から感動のエネルギーをもらい、自己の成長へとつなげたいものです。

許す心

人生の中には様々な出来事があり、人に裏切られた、人に騙された、足を引っ張られた、といった経験を大なり小なり誰でも経験があります。どの程度の被害かは本人にしかわからないものですが、恨みや妬みの心は、これもまた相当なエネルギーを消耗し、決して幸福感とはほど遠い心持ちです。「罪を憎んで人を憎まず」とは許す心が無ければできない事ですが、その様に努力する中で、人の弱さ、自分も相手も弱い人間であることを徐々に理解できるようになると思います。一見自己中心的に見える相手の行動やわがままな行いも、人間の弱さ故の結果と思えれば、許す心に近づけるのだと思います。

しかし、相手の行為によっては、それでも「許せない」という事もあると思います。その時は、「許せずとも流す」。そのように心を切り替えることで、負のエネルギーから少しでも開放されるのではないでしょうか。

広い心

「広い心」と言っても、人それぞれに広さの基準が違うので、人間誰しも自分が「心の狭い人間」だと思っていないのが難しいところです。よって、「心を広くしたい」と思う気持ちや、そして人から「広い心の持ち主」と思ってもらえるような心の在り方と言えます。それには、「自分の心の広さ」を意識することが必要です。

心が広いと言われる人は、様々な多くの人々と接し、誰とでも心を通い合わせ、相手を受け入れることができるように思われます。この場合、表面的な、八方美人が必ずしも心が広いというものでもありません。自分の考えや意見はしっかりと持った上で、相手を受け入れ、多くの人の信頼を得る人の様に思います。

このような心の持ち主は真の自信を持っている人と言えます。そして、真の自信とは、自分自身の使命を自覚し、その使命を全うすることを目標目的として努力することで生まれてくるのだと思います。

では自分自身の使命とは何でしょうか?一人一人与えられた環境や立場は異なり、その中でできる事できないことがあります。しかし、人間として共通していることは、身内も含め一人でも多くの人に喜びと幸せを与える事を喜びとして生きる、これが使命です。これを自覚し、そのような生き方をしたいと思える心が正に「広い心」ではないでしょうか。

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